高尾井上氏の成り立ちを紹介
更新日:10月3日

あくまで伝承ですが、代表の井上氏の先祖は甲斐武田氏の一門 武田信玄・勝頼に仕え、情報の伝達や前線に命令を伝える「使番十二人衆(つかいばんじゅうににんしゅう)という侍で、後に足軽大将となった、今井信俊(いまいのぶとし)の一族である、今井昌俊(いまいまさとし)という武将と伝えられています。
甲斐武田氏が織田氏に滅ぼされ、江戸幕府の創始者 徳川家康の直臣として召し抱えられます。小牧長久手の闘い、関ケ原の闘いを得て、豊臣秀頼と徳川家康の戦国最後の闘い「大坂の陣」で功績を上げ、当時、今の三重県伊賀高尾の高尾氏の養子として今井昌俊(実際に、徳川旗本になったのは息子の高尾嘉文(たかおよしぶみ)の代です)は、高尾氏の350石旗本になります。
時代を得て、一族が、天正伊賀の乱の英雄、伊賀の名門、井上氏城の城主、井上弥右衛門安氏(いのうえやすうじ)の一族の養子となり、井上氏を名乗ったとされています。
実際に伝承だけでなく、三重県伊賀市高尾にもとは1100ヘーホーメートルの屋敷の跡地と思われる土地(代々受け継いだ権利書も所持)や京都の西山に甲斐武田の家紋(武田菱)があるお墓やおそらく80年~100年以上たっているであろう、仏壇が自宅にあり、
武田菱の家紋がほりこまれています。
字酒屋(さかや)という地名にも歴史があり、その地域で、「酒造業」など大きな商売(当時の特権階級や豪農が行うことが多い)をしていたという歴史もあります。江戸時代、酒造りを行うには、徳川幕府の許可が必要で、「酒造株(しゅぞうかぶ)という特別な営業許可が絶対に必要でした。そのなごりと思われます。
今井昌俊は、甲斐武田氏の一族で、有名な武田信玄公の親戚にあたるという歴史があります。武田信玄公は、甲斐源氏の祖である源義清(みなもとのよしきよ)の子孫とされています。義清は、平安時代の清和源氏の祖の清和天皇に血のつながりを持つ者です。
もしかすると、あまりに昔なので、事実はどうであれ、現代の高尾井上氏も、清和源氏の色濃く血が受け継がれているかもしれませんね。ロマンがあって良いですね。


今の代表、井上氏の祖父は、霞ケ浦海軍航空隊の飛行予科練習生で零式艦上戦闘機のパイロットでした。海軍の特務中尉で戦後まで生還しています。(飛行予科練習生の制服や飛行服と思われる写真も数多く残っています。当時1930年代前半の飛行予科練習生は厳しい選抜を合格したエリートであり、確かな家柄が必要で徳川の旗本一族が数多く入隊しました。
井上氏の父は、元は全日本不動産協会で働き、後に不動産会社の社長になりました。








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